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真の孤独の中でしか生まれないもの

今日は、昨日何となく綴ろうと感じた孤独について。
孤独とは・・他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す
 
偏見、思い込み、制限、劣等感やコンプレッス、あらゆる違い、比較することなどから生まれます。
でもそれだけではなくて、
何かを超越するような表現や創造は真の孤独の中でしか生まれない。
 
孤独は孤独感を感じるが故に自分を見つめさせ
内側に意識は向かいます。
 
孤独感は独りぼっちの時だけに感じるものではなく、周りに人がいても感じるもの。
 
 
 
そのとき人はやっと、孤独を埋められるのは内側のものであり
 
一時的には埋められたように感じても
本当の意味では、誰かや何か、外側のものでは埋まらないことに気がつく。
 
 
 
内側に意識が向かうとき人はBeingの状態になる
 
だからこそ、そこから魂からの創造が生まれる。

孤独はあなたを強くし

孤独は妥協なく内なる真実に従うとき生まれ

真の孤独を知っている人にしか生み出せないものがある
孤独の中でしか真の創造は生まれない


そしてその真の創造は孤独の漆黒の闇に輝く光となる
それは明るい太陽輝く下では生まれない光
 
暗闇の中でしか生み出せない光となるとなり
あなた自身も周りをも照らす光となる
その時、あなたの内なる太陽は本来の輝きを放つ
あなたの太陽の光を浴びようと
たくさんの人が集まってくる
それでもあなたの孤独は変わらないでしょう。
そして自ら輝こうとしない人とは本当の関係は築けないでしょう。
でもあなたの孤独の捉え方は変わってきているでしょう
孤独を楽しみ
孤独を求めるようになると思います。
孤独は愛から切り離されたものではなく
でしかないから。
孤独の漆黒の闇に思えたものの中で
何百、何千もの存在たちが息を潜めて静かにあなたを見守っていた事に気付くから
何もない孤独は、
全てが完全なまでに在ることの裏返し
あなたは全てが完全に在ることを深いところで知っているが故に孤独を感じるのだから。
そして本当はそこに分離などないのだから。
孤独と孤独になることを恐れないで下さい。
今日はまたボヘミアンラプソディーを観て来ました。7回目。
この映画を観て、フレディの孤独にばかりフォーカスする方もいるようですが、
フレディは孤独で可哀想とは私は思いません。
私はこの映画に"愛"しか感じません。
大きな大きな愛
全てを超越する、
全てを一つにする祈りと愛。

それはやっぱり絶望や悲しみや孤独の闇から生まれているのだと私は思います。
本当に可哀想なのは
孤独の中で孤独である自分を哀れむばかりで何も生み出せない人。
孤独であることで人の同情を、気をひこうとする人。
孤独を味わい切ることでしか、それを超越することは出来ない。
そして孤独の中でしか生み出せない真の創造や表現があることを覚えておいて下さい。

I decide who I am. 

私が何者であるのかは私が決める