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ユニティ時代に向かっての所有の壁

今日はしつこいですが、8回目のボヘミアンラプソディーを観てきました。
今日は"所有"について。
誰もが誰かを何かを所有したいと思うものです。
自分のものである安心感と充足感、
それは自分にとって価値あるもの、
純粋に大好きだったりの愛からでもあり
その愛はバランスを崩すと執着となります。
私は去年、ずっと色んな形で所有について考えていました。
私たちはいま、ユニティの時代に向かうからこそ
超えなければならない所有の壁があると思っています。
所有欲は太陽神経叢のチャクラまでが司るもの
ハートチャクラにあるのは無償で無条件の愛
それは無条件に与え、無条件に受け取る こと
ユニティの時代、
そしてハートチャクラから生きる時代に移行しつつある今、
そうやって生きることが出来ますか?と問われることが、問われている人が本当に多いのを感じます。
好きな人、愛する人には家庭があったり、付き合っている人がいたり。
反対に自分に家庭があったり。
そんなご相談を受けることがここ2〜3年本当に多いです。
月の土地が売られ
月の一部はすでに誰かのものです。
でも月は見上げる全ての人のもの。
それを自分だけのものにしたいと思うことはありますか?
そしてあれは誰かのものなのだと思いながら見上げることはありますか?
お金を払って月の土地を買って契約を結んで権利はあっても
本当の意味で月が誰かのものになることなどありません。
同じように、結婚しても愛し合っても
本当の意味で誰かを所有することなんて出来ない。
持てるはせいぜい、相手に対する責任だと思うのです。
それも自分で選ぶ責任であって
背負わなければならない責任ではありません。
同時に別れても、離れても、その人が天に召されても
誰かを本当の意味で失うこともない。
ボヘミアンラプソディーの映画の中で好きなのが
メアリーにプロポーズした後で、自分はゲイだと気付くフレディ。
でもだからメアリーと別れようとはならない。
フレディマーキュリーは世界中の人に愛された。
何人もの人がフレディを自分だけのものにしようとした。
映画にも登場し、死を迎えるまで傍に居た、ジムハットンの本を読んでもひしひしと伝わってくるのが
フレディへの愛と共に
自分がどれだけフレディに愛されていたか
それを知って欲しい、分かって欲しいという切なく痛いほどの愛と想いでした。
フレディはもちろんジムを愛していた。
そしてメアリーのことも
たくさんのネコたちのことも
Queen のメンバーのロジャーやブライアン、ジョンのことも。
そして世界中の彼の音楽を愛するファンたちのことも。
フレディの恋人たちは、彼の愛を共有しなければならない事を時に苦しんでいたように感じます。
亡くなって約27年。
時を超えてフレディは、彼を愛する全ての人のもので
そして誰のものでもない。

初めから全てはあなたのもの
あなたのものでないものなんて何もない
全てはあなたのもので
同時に何一つあなたのものではない
そこには分離などないのだから。
あなたのものであるのに、欲しいと所有したくなるのは、そこに"失うかもしれない" "失いたくない"という分離の恐れがあるから。
そして誰かに取られたくない、奪われたくない
取られたら無くなってしまう
そんな所有欲は、分離の時代の競争を生み出した。
恐れが分離を生み出し
分離を感じるから所有したいと求める。
でも本当のユニティは奪うも奪われるもない。
"自分の"や"所有欲"をどれだけ手放せるか?
私たちはみんな問われています。
自分の愛するものをどれだけ抱え込まず、そのままである事を許し、シェア出来るのか?
私たちの所有に対する意識が変わった時
またユニティへの流れが一層深くなり、そして加速するのだと思います。
私もまだまだ所有欲の塊です。
そして分離の幻想を分かっていても
"私の一部"でもある、あなたが居てくれることに
分離があるからこそ感じあえる、触れ合える、もたらされる、
驚きや喜びやあらゆる感情や体感や経験に
心から感謝です。