· 

オシリスとイシス~2019年エジプト統合の旅~

エジプト4日目。
昨日、カイロから国内線に乗り換えアスワンへ。
カイロは地中海より
アスワンはスーダンに近い内陸部にあります。

そして今日も3時起きで
バスからボートに乗り換えて、
イシス神殿へと向かいました。
ちょうど半分の月にオリオン座、北斗七星
空には満天の星々が輝いていました。
静寂の中のイシス神殿は、神聖でありながら愛に満ちていました。
私たちの中にある男性性と女性性
その象徴がアダムとイブ
イザナギノミコトとイザナギノミコト
そして、オシリスとイシスです。

私たちが異性を求めるのは
自分に欠けたものを補うためではない。
女性であるなら、
理想の相手は常に自分の中の男性性の反映です。
人は始めは見た目など外面的なものから相手を求め
意識の目覚めと共に、相手に精神性を求めるようになる。

 

魂が女性性であるなら
肉体は男性性
私はずっとずっと肉体を拒んできました。
肉体として生きること
肉体の自分。
それは肉体の自分を認めることは
個である自分自身
分離している自分を認めることのように感じていたから。
私はそれを酷く拒み、抵抗し続けてきた。
その現実を認める事が耐えがたい、痛みでした。
でも今回、私はその肉体という自分の男性性を迎い入れるために、
一つとなるために、ここに来たのを感じました。
長くこの時までかかりました。
私の場合は内側、
内面の精神的な女性性と男性性のバランスの方が先で
多層的な私たちは何度も何度も段階を経て
自分のすべてを受け入れていく。
自分に還っていく。

 

そして、本当の意味で肉体を迎える時がきました。
生まれてから間もなく43年だというのに。
やっと。
長く長く置き去りにしてきてしまった自分の一部は、忍耐強くこの時を待っていてくれたように感じます。

儀式が終わって外に出ると
今回も黄金色の夜明け。
圧倒的な美しさと圧倒的な光を持って。
万物を照らす太陽。


不思議ともう分離の悲しみも痛みもなく
どうあっても自分は自分である。
在ることの中で生み出されるDoingを
すべての行動と行為の中で生み出されるBeingを
分離の中でユニティを
体現して生きていけそうです。

分離を知らずしてユニティを語れず
すべての痛みと苦しみと悲しみの体験が
私をここに連れてきてくれました。
すべてはやっぱり、愛でしかなかった。
それを深く感じています。
イシス神殿もまた、浄らかな水と
たくさんの巨石たちに護られた神殿でした。

深い深い愛の場所でしたよ。
3年前のエジプトとは、すべての感じ方が違うように感じます。
もっともっと男性性のエネルギーの強い地という印象でしたが、
今回は、それだけではない
育む、慈しむ女性的なたくましさや豊かさを感じます。
明日はいよいよ念願のデンデラ
ハトホル神殿を訪れます。
すべての流れと、迎い入れてくれている
この地のすべてに感謝を込めて。