愛し過ぎていた~2019年エジプト統合の旅~

母なるナイル川の上流、ルクソールで、穏やかな朝を迎えました。

今日は念願のハトホル神殿へ。
ずっと、ずっとここを訪れることを願い続けていました。
私は人が堪らなく好きで
人が堪らなく苦手
その相反するものに翻弄されてきました。
それは相反するもの二極的なものと思ってきたけれど、
本当はそうではなくて
私は人を、
人類を愛しすぎていたのだなと感じました。
愛しさあまって憎さ百倍のように
愛しすぎて、時に反転していた。
愛おしい人類は、奪い合い、争い合い
力を明け渡し、卑下し、壊し続けた。
何度も、何度も体を持たずに見護り続けたり
何度も、何度も人間としてそれを体験したり
その中で"苦手"は便利な言葉であり
苦手意識もまた自分を守る為のものでした。
人を愛しすぎて
怒り・憎しみ・悲しむ・幻滅することは
とてつもない痛みだったから。
すべては愛おしさがゆえ。
人が苦手というみなさん、
沢山いると思います。
みなさんもまた、単に苦手なのではなくて
本当は人を、人類を愛しすぎている人なのかもしれません。
苦手だから関わらない
避けるのは
愛おしいが故に
今より、嫌ったり、憎んだり
人類への愛を失いたくないから。
感じてみて下さい。
ハトホルの大きな大きな
人類をいまも変わらず見護り続けている
太陽みたいな大きく変わらない愛が
それを思い出させくれました。
1番大切なものを人は苦手と感じたりします。
大切であるが故に。
でも大切なものを私たちは本当の意味で失うことはない。
決して。

 

言葉にすると安っぽくなりますが、
でもやっぱり
すべては愛で
愛こそすべて
なのだと思います。
愛そのものであるみなさんへ。
エジプトより、
人間として届けようもない、愛を込めて。

私がかつて祈りを捧げていた場所を見つけました。
1人にしなる時間を宇宙が与えてくれたので
同じ場所で平伏しました。
これはその場所の天井画です。

 

 

エジプトより深い愛を込めて