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祈りと我欲


今朝はノルウェーとオーストラリアの友人より声を掛けて頂き、

オーストラリアの深刻な水不足と乾燥による制御不能な規模の火事に対する世界中の方と一緒に行う祈りに参加していました。



呼びかけている方は
オーストラリアに奇跡が必要で
奇跡を起こすには人の祈りの力が必要だと綴られていました。


私たちの体が
内にこもった、
滞ったエネルギーを動かし浄化するときに


沢山の涙や
沢山の汗や熱を放出して菌を殺したり
熱を下げようと働くように



地球は浄化を必要としていて


北半球では水による浄化

南半球では火による浄化 


が大きく働いているように感じます。



ノートルダム寺院や
首里城など歴史的な建造物が焼失は

当たり前にあるものの大切さや
在ること力強さを私たちに改めて教えてくれましたよね。


そしてその上でそれそのものが持つものの意味と
古い体制で閉じ込められていた本来の力が表に出てきたようにも感じました。




なぜこんなにも浄化が必要なのか?



開発し過ぎた
壊し、色んなものを建て過ぎた。


それもそうだと思います。


でも1番は人の想念なのだと思います。



想念がエゴ(我欲)に偏りすぎて

それが地球上のどこまでも蔓延って(はびこって)いる。


それが地球に影響を及ぼしている。

地球の浄化作用に影響を及ぼしている。




神社に置いてある神鏡は

天照大神の象徴でもあり


そして拝むときに自らの姿を映し出して

内なる神とその姿を思い出しなさいという意味でもあり、

その時に本当に内なる神と一つになっていたら、それは神性(神聖なる)なる純粋な意図=祈りとなります。



かがみの"が"(我)をとったら"かみ"(神)になる

よく知られた言葉ですが、真実です。




純粋な意図=祈り 


その反対にあるのが 


自分さえ良ければよい=我欲



生存本能から生まれるエゴ


もちろんエゴは悪いものではなく


時には自分を守るものにもなり

それをバネにして何かを掴む、向上することに使うことも可能です。



我欲は、恐れや怒りに翻弄された思考からしか生まれません。


エゴが我欲にまで偏ると

我欲を通してしかすべてを見られなくなり、我欲と思考からしか生きられなくなります。


それが幸せと繋がっていれば良いですが

多くの場合、それは幸せとはかけ離れたものです。



祈りがあなたの中のバランスをとってくれます。

思考や恐れの奥にある

本当の望みや本当の自分に気付かせてくれます。



そして純粋なる祈りこそが、

どこにいても、どんな人でも出来る


地球にはびこる我欲の想念を消していくものになると思います。



日本人は古来より祈りと共に生きてきました。

それは宗教とは関係のないものです。


数分でも数十秒でもよいので

習慣化していくことが、


自分を整え、自分のためになり

それが地球のためにも繋がっていくと思います。



祈り=お願いや願望ではない

その違いも感じてみて下さい。



誰かや何かのために祈ることに抵抗を感じる方は、自分のために祈って下さい。


あなたが幸せでありますように。




そしてオーストラリアの大地とそこに住む人や動物や自然のために

充分な雨が降るように

お時間や余裕がある方は祈りの時間を作ってみて頂けたらと思います。