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跪き、平伏すこと、自分が感じているより”もっと”

 

土日、私はアフロディーテ、そしてイシスとのイニシエーション(儀式)とワークのワークショップに参加してきました。
今日はその中で受け取ったメッセージと
体感から実感したことをシェアさせて下さいね。


アフロディーテは春風のように優しく柔らかな女神という感じではなく、とても毅然とした女神でした。
"本当の美以外のものは認めない"
そんな強さがありました。
本当の美とは、表面的な物ではなく
真実であり、本心であり
純粋さであり、そのままであること
自分を蔑む(さげすむ)軽んじる
誤魔化す、そんな醜さを許さない毅然さ。
私たちはあまりに美しいものを目にした時
息をのみます。
言葉をお忘れ、何も考えられなくなり
ただ、ただ
それに酔いしれ
時に涙が出ます。
それは思考ではなくダイレクトにハートに入ってくる。
美しい芸術作品や景色、建築物
音楽、食事、動きやしぐさや想い、佇まい
在り方や接し方
そのすべては周波数です。
"本物の美しさ"は人を、人のハートを動かします。
アフロディーテはその美しさのみで闘いを止めた、その気力を奪った女神です。

1人1人アフロディーテのイニシエーションを受け終わった後に
アフロディーテが語りかけてきました。
"もっともっとハートそのもので在りなさい"
もっとか。。。私はそのもっとの周波数を感じていました。
 
 
 
そんなものではない、もっと、もっと、もっと、もっとです。
ハートに限界はありません。
あなたの感じている、思っている
この位かな?を遥かに超えた"もっと"です。
結構、ハートそのもので在れていると私は思っていましたが、
もっと、もっと、限界なく
私はハートそのものになれる、在れるようです。
そして、それはみなさんも同じです。
この位かな?は私たちが自然に、そして勝手に作り出してしまう制限にもなり得ます。
あなたはもっともっとハートそのものとして
生きることが、在ることが可能です。
限界なくキラキラ


そしてイシスのイニシエーションは順番を待っている間に目を瞑ると
そこはもうエジプトの神殿でした。
そして1人1人にイニシエーションをする
イベッテのエネルギーがイシスそのもののように感じ
私はもう跪(ひざまず)きたい、床に平伏したい衝動にかられます。


イメージの中で完全に跪き
順番が来るのを待っていたのですが
その中で感じました。
跪く、平伏すのは
男性の権力と統治の時代では
権力に屈する、自分の力を明け渡すような行為だったけれど
それ以前の古代エジプトを始め
私たちが神々と密接に生きていた時代
自然を敬っていた時代での
平伏す、跪く行為は
完全なる敬愛と共に
無防備なまでに完全に宇宙に委ねます。
 
"すべては神の御心のまま"のような宇宙への完全なる信頼の現れでもあったという事を。

もう地面に張り付くぐらいに完全に平伏しながら
迷いない強さと大きな愛と共にありました。
ずっと、ずっとそうしていたいくらいに。
この7年スピリチュアルな探究と学びを続けてきて
どんなワークショップに出ても8割くらいは知っていること
それを再確認したり違う表現や違う視点から理解する、触れる時間になったりしています。
この"知っている"は単に思考としてだけではなくて、
自分の内側で、そうである真実として感じているものです。
初めて触れた瞬間に自分のものになる物があり、
知っていることでも何度も何度も聞く、触れる中で、ある時、自分のものになる瞬間があります。
気になる、惹かれるのは
何かその中で自分のものにする必要があるから。
学びや探究に終わりはないです。
自分が望むなら、気になったり、惹かれるなら
その為の機会をいつでも自分に与えてあげて下さいね。
今夜もこれからお2人の方への