甘えと甘えること
似てるようで、全く違う、その違いがわかりますか?
最近、友との会話の中で
私は本当に"甘えること"が苦手で、何でも自分でやろうとしてるのだなと気付きました。
甘えられない人は、誰かに頼るという事自体が苦手なので、自分でやる方が楽なのです。
そういう方は本当は多いのではないかと思います。
甘えらない人も"甘え"は持っています。
そして素直に甘えられないからこそ
時に"甘え"を自覚していながら使うこともあるように感じます。
例えば、
本当は1人で頑張るのが辛い、本当は手伝って欲しい、
でもその本音を伝えることが出来ない、甘えられない人も
イライラして不機嫌になったり、
相手を無視する、冷たくする
暴言や辛辣な言葉や態度をとる
ことは出来ます。
それをしても大丈夫な相手だという、
相手への"甘え"と自分への甘えがそれさせます。
"甘え"は、エゴからくるもので、
そこには感謝や尊重や意志も真実もそこにはありません。
•予約や約束に遅れそうだけど、しょうがない
•ダイエットと思ったけど、食べちゃおう
•照れ臭いから感謝や挨拶しなくてもいいだろう
•汚しちゃったけど誰かが片付けてくれるだろう
•余分にもらっちゃおう
このくらいしても大丈夫だろうという
自分を甘やかす気持ちからきています。
エゴは言い訳や正当化や誤魔化すことが上手なので、瞬時にその言い訳を考えます。
"甘え"の場合は本当は良くないと、どこかで分かっているから。
自分に対しても誰かや何かに対しても甘えからのものに発展性はありません。
なぜ甘えが出てしまうのか?
全てを誰かや何かのせいにして犠牲者意識で生きているから
もしくは、1人で頑張り過ぎているからです。
誰にも頼れない(特に精神的に)
本当に必要な"甘える"ということが出来てないから。
甘えられない人の多くは
やはり幼少期に何らかのことがきっかけとなり
"甘えてはいけないのだ"と感じたことが大きいと思います。
甘えたいのに甘えると叱られたり
精神的に自立しなければならない
頼ってはいけない
自分がしっかりしなければならない
そんな風に子供ながらに強く思ったこと。
幼少期に"甘えてはいけない"が出来てしまったので、大人になると余計にそれが出来ません。
甘えることには、相手や何かを信頼すること、
委ねること・手放すこと
そして自分を開くこと
自分の本音や弱さを見せること
無防備になることが伴います。
だから私たちは、
木や海や空や太陽の光、花々
無償の存在には何も考えずに甘えることが出来ても、
相手が人となると、
相手への信頼が揺るぎたくないから
無防備になることで、傷つきたくないから
ありのままの自分を見せるのが恐いから
私たちは誰かや何かに簡単に甘えられません。
でも苦手意識のままでは何も変わらず
やはり意識的になることでしか変わらない。
疲れるけど、苦手だけれど、
誰かに甘える
何かに甘える
それが出来ることで
それを自分に許すことで
そこから発展していくもの
広がっていくものがあります。
"甘えること"はあなたが許してないと
相手はそれを感じる、受け取ることが出来ないから
あなたのハートの内側からしか開かない
開けられない扉のようなものです。
どうせ許すなら自分の中の甘え
ではなく
大切な人に、大切な時に、甘えることを許してくださいね。
特にあなたが、甘えて欲しいと感じる人に対して。
みんなが良い意味で上手に"甘えること"ができて
そしてそれが出来ることで
それぞれの中の甘えがなくなったら、
世の中はそれだけでも生きやすく平和なものになるでしょうね。
私も頑張ります(笑)