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ハトホルとイシス〜かつて誰もがPrayer祈り手だった〜


こんばんは星


My Egyptさんの Prayers 祈り・祈り手のポストカードが届きました。

ハトホルとイシス

このイメージは今年1月、王家の谷の近く
イシスチャペルからの祈りの際に

智子さんの中に湧き上がったイメージを

ラベルやポストカードなどの絵を担当している
@naokoninaforrest さんが絵にしたものです。



新しくハトホルやイシスのオイルのラベルにもなっています。





Prayers


祈り手

 

 

かつての私たちは誰もが祈り手でした。


生活のすべてが祈り。




どのように祈るかなんて関係なく

宗教も肌の色も住む場所も立場も超えて。



誰もが祈りとは何かを知っていた。



生活の一部である"それ"が

祈りという認識がなくとも




生きることの一部で当たり前に行い

"それ"を切り離すことなんて出来ないものでした。

 




民族たちは、独自の祈りと切り離されると


アイデンティティーを失い

生きる意味を失い、本来の生き方を失う。





祈りから切り離されると


すべてが神への仕え事(仕事)だったはずのものは単なる労働となる。





すべては突き詰めると無となる



無の中にはすべてが在り

そこになにも限界や制限は存在しない。



 

祈りの周波数は瞬時に


制限や境界線や二極性など存在しない領域へと私たちを解き放ってくれます。





肉体を超え

私たちのハートと魂を自由にし



無限の可能性の中へ

無限の創造性の中へ

無限の広がりの中へと導き




私たちはそれと一つになる。




 

祈りの周波数と一つになる時


私たちは何をしていても

どんな環境や状況の中でも

場所も時も選ばず


祈り手となる。




祭壇の前で祈るから祈り手なのではないのです。

 


道端をお掃除していても

ただ道を歩いていても

工作していても

お仕事をしていても


あなたが祈りの周波数を生きていたら

すべてが祈りとなります。





祈りの周波数で生きているから



お社がなくても私たちは自然の中に神を見出し


神を感じ、お祀りしてきた。







誤解されがちですが、本来の神道は

日本の宗教ではなく



祈ることを通して

祓いを通して



自分の内なる神と

外なる神



その両方と一つとなり生きる道。





"道"は出来るようになるとかならないとか

上手いとか下手とか

詳しいとか教えられるとかではない


到達地点も終わりもない生き方、在り方です。







朝晩祈っていても(Doing・する)

それが行為として形だけで終わっているなら


真の祈り手とはいえず



祈りの時間を作ってなくとも

祈りを、祈りの周波数を生きていれば

(Being・在る)


あなたは祈りそのものです。





私にとってはセッションをさせて頂く時間や



こうして私の中の真実と一つになって

綴るということも祈り




あなたにとっての祈りはどんなものでしょうか?

どんな"時"が祈りとなっているでしょう?






私たちの中の祈りを

内なる祈り手を



思い出させてくれるような美しいイメージ。



ありがとうございますキラキラ

 





祈りなくして4500年も受け継ぎ、護り継ぐことが

できるでしょうか?


マイエジプトさんのオイルからは、

どんなオイルからも、いつも祈りを感じます。



今回は、ハトホルとイシスのオイルにちなんで


右から

ビューティフルミーティング

ハトホル


イシス

ティアーズオブアイシス

ブラッドオブイシス

マジックオブアイシス

ミステリーオブイシス


オイルはイシス側にハトホルのオイル

ハトホル川にイシスと反転させています。



私たちがいつでも内なる祈り手と

そして祈りそのものと一つで在れますように。









セッションメニューの一覧




明日もあなたらしく在れる1日になりますようにドア 




生きとし生けるものが幸せでありますようにベル 




一なるものから生まれ出た全ての存在に愛と感謝と祈りを込めて流れ星